グローバル人材とは

先日グローバル人材について考える機会があった。
私は「グローバル人材=英語ができる」では無いと思っている。英語が大してできない私の言い訳と思われたらそれまでだが、私はそう思ってる。

私は英語が得意では無いけれど、英語が流暢な帰国子女より、海外の過酷な環境で生きる術は持ってると自負していて、海外での生活力はその人には負けないと思ってる。第一、外国の人が皆英語ができるかというと、全くそうではない。そんなこんなで「グローバル人材=英語できる」っていう定義は一旦置いておきたいと思う。

と言いつつ、グローバル人材というと、英語をツールとして使えるというのはある意味前提条件のように思う。となると英語へのモチベーションを上げなければならないが、英語を使って何かをしたいという具体的なことがない。だからモチベーションが続かなかったりする。

目的があるのはもちろんベストだが、私の今のモチベーションは、海外で働いてみたい(なぜなのか、目的はとか問われると、正直明確なことを答えられないけど、若いうちの今は自分が自由に動けるし、その間に違う環境で経験を積めるなら積むに越したこと無いという考えだ)、たまたま今の仕事で海外とも関わりがあるの2つ。
でもこれだけじゃ全然足りなくて、モチベーションは低いと思ってる。

だから、語弊を恐れずに言うと、グローバル人材に対して私は「がんばる」ことを辞めた。
目的は上で述べたぐらいしかないから、自分が少しでも楽しいとか、やりがいを感じられることだけに絞ることにした。

TOEICの勉強とかはそれに外れるからしてない(しろっていうクレームはご容赦ください汗)。
グローバル人材は目指すものでは無くて、自然となるものというか、英語ができるから海外案件を任せられるのでは無くて、結局はタイミングとかポジションが空くかとかの問題だと思う。私も周りと比べれば英語が劣りすぎているが、偶然空きができたから海外案件を担当させてもらっている。

国内案件海外案件関係なく、今は国内外という区別さえ無くなってきていて、誰でもどのフィールドでも戦える力が求められていると思う。
そのため、グローバル人材になりたいのかな?ならないと!目的は?目標は?とか考えるのももちろん良いのだが、私はそういう境目も無くなった世界こそが真のグローバル社会だと思う。

結論が無いけど、あえて結論づけるなら(結論を最後に持ってくるのがまだまだグローバルスタンダードとは外れていて反省汗)、

“グローバル人材というカテゴリを取っ払う”

ことが私の目指すグローバル人材の姿だ。

エリー

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