朝日新聞寄稿
朝日新聞を読んでいた時に寄稿の募集があったので、よし、案件獲得!と意気込んで書いてみた。数名しか本誌には選ばれないらしいので審査前にリリースしたいと思う。
いつも長々と書いているブログも、寄稿では一本400文字の制限があったので、文字数におさめるトレーニングも兼ねて。いや、普通に文章書くのが好きなので暇さえあれば(暇がなくても時間を捻出して)書いている。2つのテーマを募集していたので、2つとも書いた。
①コロナ禍での友達や親、孫らとの交流(399/400文字)
コロナ禍で家族とビデオ通話をするようになった。友達とのオンライン飲み会が流行ったのは20年5月頃だったが、家族とのオンラインでの交流は今も続いている。
わざわざ時間を確保して通話するのではなくて、自分の時間が空いた時に、家族LINEでビデオ通話をする。その時に空いている人が通話に加わる。私はご飯を食べている時、皿洗いをしている時、洗濯物を干している時に主に通話する。通話というよりも配信と名付けた方が適切かもしれない。
リアルな日常生活でのコミュニケーションでは、わざわざ相手と話す時間を約束するものではない。同じ空間を共有して、気が向いた時に話をする。沈黙もある。
それと同様に家族とのご飯配信、皿洗い配信、洗濯物配信は全て入退室自由。相手の時間も自分の時間も縛ることなく、離れている家族と交流ができるようになったことは良かったと思う。
画面越しではあるが、実際に交流している感覚になるのでオススメだ。
②かつて受験生だった自分に伝えたいこと(398/400文字)
「何一つとして無駄なことはなくて、今の頑張り全てが将来の自分に繋がっているよ。」
大学受験目前の8年前、ギリギリの状態で頑張っていた自分にそう伝えたい。
当時を振り返ると、受験の最大の目的は、努力すべきことに対して努力し結果を出す力を養うことだと思った。
受験に意味がないと思うならそれも一つの考え。であれば、あなたにとって意味のあると思うものに対して適切な努力をして結果を出すプロセスを受験から代替すれば良い。
たまたま私たちが向き合ってきたものが受験であって、別の分野でも構わない。どんな分野であろうと、その時の一回の結果だけで評価される世界を知ることはとても重要だと思う。
受験から数年経ち働き始めて思うのは、社会は受験以上に結果だけで評価されることが多いということ。加えて、結果が全てであろうが、その先の未来はその時の結果一つでは左右されないこということ。
受験の世界に向き合う若者を心から応援する。
エリー
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