東日本大地震10年

2021年3月11日、東日本大地震から10年が経過した。

私は当時高校1年生で、西日本にいたので揺れはほとんど感じておらず、影響といえば、部活が1日ぐらい休みになっただけ。ただテレビで状況を見ていた。私は阪神淡路大震災があった年度に生まれていて、当時0歳だったが、震災は経験しているものの記憶は無い。

そのため、私が偉そうにとやかく語ることはできる立場では無い。それでも今回何かは残しておきたいと思った。

大学時代は何か自分にできることをと考えて、4回東北にボランティアに行った。
ボランティアといっても、ハード面では何もできてなくて、現地を視察して起こったことや現状を学んだり、仮設住宅に行ったり、地域のイベントに参加したり。その程度だったけれど、そこで沢山の人と出会い、得るものは多かった。

社会人になってからは行動範囲も広がり、福島や宮城、岩手など東北方面に行く機会が以前より増えた。大学時代に知り合った方とも東北で再会したり、改めて被災地を訪問したり、普通に旅行にも行った。

海岸沿いを車で走った時、福島では窓を開けてはいけない区間、バイクでは走ってはいけない区間があって、正直、まだこの状況なんだと思った。信号は機能していなかったり、ガソリンスタンドの時間があの時から動いていなくて、廃墟のままだったり。少し前までは電車が開通していない区間があって、バスに乗り換えたりもした。

10年だということは多くの人がニュースなどでも見て感じたことだと思う。翌日からは皆日常に戻る。
いつも忘れないでいたいなと思う。

AKB48は震災から2ヶ月目以降、のべ72回の被災地訪問をしており、東北の方に笑顔を届けてきた。そのドキュメンタリーがYouTubeにアップされていて見た。AKB48は10年前、被災地を訪れるなんて不謹慎だ、偽善だと一部の人からは言われていた。今のAKB48を見ていると、被災地支援に限らずだが、無力と言われても、何かを続けることは意味があるんだなと思った。

防災バッグを玄関に置いているが、今回少し見直して、ソーラーバッテリーとか、マスクとか、もう少し拡充しようと思う。

AKB48「掌が語ること」

掌で掴めるものなんて
たかが知れている
指を大きく広げてみても
何かがこぼれてく
それでも僕はこの掌
何度も差し出して
目の前にある未来の砂を
そっとかき集めよう

夢は いつも 一人で見始めるもの
過ぎた時間(とき)も忘れるくらい
今やりたいことやればいい
たとえそれが 小さな掌でも
一生懸命 掬(すく)い続ければ
いつか山ができる

エリー

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