人の人生を生きる

見城徹 『読書という荒野』を読んだ。

見城徹さんは、幻冬社の創業者、社長である。
以前ゆうこすが、タイムバンクで見城さんの時間を100万円で買って、食事をしていた。
100万円出してでも会いたい人、欲しい人の時間ってあるんだろうか、ゆうこすすごいな〜と思っていた。

この本は、見城さんがゆうこすに最近プレゼントしたそう。私も図書館でリクエストして入荷してもらい、読むことにした。

タイトルから分かるように、本の結論(概要)は、読書ってとても大切で、読書でしか得られないものがたくさんあるよという話(簡単に言い過ぎ)。
見城さんの言葉で言えば、読書は、"自分の人生を広げてくれて、普通の生活だと味わえない経験を与えてくれるもの"だ。

正直、見城さんを目の前にして(実際に目の前にはしていないが、本を読んだら目の前にいるような気がするのだ)、この本についてとやかく語るのはおこがましいというか、恐れ多いというか、言葉が出ない。自分はなんて薄っぺらい人間なんだという現実を今目の前にしている。

ただ、そこで立ち止まっていても仕方がないので、覚えておきたいことや感じたことを述べる。

見城さんは読書を通して色んな人生に触れて、死んでもいい覚悟で物事に取り組むと結果は変わることが分かった。
普段の生活で、自分は死んでもいい覚悟で立ち向かえているのか?甘ったれていないか?そう奮い立たせてくれるのが読書体験なのだ。

本を読み始めて、読書をすれば奥の深い人生を送ることができるんだという当たり前のことに改めて気付かされた。深く読んだのが月初ということもあったが(私の仕事はどちらかというと月末の方が締めでバタバタするのだ)、15分早く会社に行って仕事をするのと、15分本を読むのとどちらが後々の人生において重要かを考えて、なるべく早く寝ていつもより少し早く起き、家を出る前に15分だけ本を読む時間を作って、いつもより少し遅く出社した(時間があるからとゆったりしてしまう自分を急がせて読書の時間を確保しながら)。

見城さんの人格を創り上げたのは膨大な読書体験で、その中で感じたことが根源となって、今の考え方に繋がっていることは、"間違ったことを間違いであると指摘できなくなるより処分された方がマシだ"ということ、"代償を払わずして何かを得ることは不可能だ"という考えに至る。

処分を気にして思ったことを発言できていないのではないか?人間は失うものが無い、あるが、失ってもいいと覚悟を決めた時が1番強いということを学んだ。

初めにも述べたが、読書をすれば無数の人生を体感でき、自分はなんて生ぬるいんだと現実を突きつけられる。生きることを真剣に考えると、必然的に読書に活路を見出すことになると見城さんは述べる。

また、これほどまでに地位を確立した見城さんは、努力について、こう述べる。
"圧倒的努力を、努力は圧倒的になって初めて意味がある、人が寝ている時に眠らない、休んでいる時に休まないこと。
リスクとは、絶対に不可能なレベルに挑戦することをいう。"

編集者は、ものづくりなどと違って、形ない虚構の仕事であると述べている。その中で人間関係の形成はより一層重要になる。

見城さんは、作家に仕事を依頼したいときは、作家の作品全部を読んで、1つ1つ感想を送っていたそうだ。
"感想こそ人間関係の最初の一歩"なのだ。
私も、人と関わるときは、自分のことを知ってもらおうとするのではなく、人のことを先に知ろうと心がけている。

見城さんは、旅の大切さにも言及している。
旅とは、貨幣と言語が通用しない場所に行くことであり、これまでの自分が築き上げてきたものが通用しない場所に行く、全てが外部の環境に晒される、自己検証、自己嫌悪、自己否定を余儀なくされるものである。

また、深い思慮のない言葉を批判している。"夢や希望を語り始めると自分が薄っぺらになる。自己満足でしかない。そんなの豚に食われろ。成功も同様、自分の死の瞬間に自分で決めるものだ。"
心に突き刺さるものがあった。

読書を通じて感じたことを行動に移さなければ意味がないと言っていて、読書によって認識者になり、そして実践者になる必要がある。

正確な言葉がなければ、深い思考はできない。深い思考がなけれら、人生は動かない。

この本の中には、名だたる有名作家の本の一節、上記のように、見城さんのそれに対するレビューや感じることが述べられている。
私はその文章をすんなりと頭に入れることができなかった。本の中身の一片を切り取ったものだということもあるかもしれないが、難しくて、2,3度読み直しても、内容が理解できない。頭に入ってこない。人よりも読むのがゆっくりなのもあるが、一冊読むのに何日、何時間もかかった。

難しかった。これまで本をたくさん読んできましたと胸を張って言えるほど読んでこなかったからなのか。

学生時代は本を読めとたくさん言われた、
その時々で読んだりはしていたが、貪るようには読んでいなかった。そのツケかもしれない。
それでも、見城さんが読書とどのように向き合ってきたか、今の自分がどのように創り上げられたかは感じることができた。

この本は、市の図書館でリクエストして入荷してもらったものだ。
以前、ある人に、図書館で本を借りている話をした。
その人は、市の図書館なんて、本を買うお金のない貧乏人が行く場所だ。あなたは本を買えるだけのお金を稼いでいるんだから、自分で本を買うべきだ。自分で買うからこそ、しっかり読めるんだ。と私に言った。

確かに、借りたもののちゃんと読めなかった本は今までにたくさんある。
でも、図書館は、私が買って欲しいとリクエストした本を買ってくれた(元をたどると我々の納める税金なのだろうが)。過去にも同じようにリクエストに応えて買ってくれたことがある。

私は図書館の期待を裏切りたくないし、図書館のためにもこの本をしっかりと読みたい。そう思った。だからこそ今ここに文を書いている。
これは、自分のお金で本を買ったことによる読了の責任感と、何が違うだろうか。
もちろん自分で買うこともあって、それは部屋に置いてある。片付けが苦手なのでモノを増やしたくないというのもあるが。

私は貧乏人と言われても別にいい(というか、その言葉は全く間違いではない、平均からしたら貧乏な時代を過ごしてきたし、だからこそお金の有り難みも人よりも分かっている自信がある)、地域の図書館とともに生きていきたい。

話は逸れたが、ゆうこすに、また魅力的な本を教えてもらった。
人生の肥やしにしたい。

この本の中で勧められていた本を次から読んでみようと思う。

以下は、ブログを始める以前の最近読んだ本の抜粋。
小説系も読まないとな〜

エリー

エリーぶかぶかダイアリー

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