立ち止まって見えたもの
最近、日に日に会社に行くことが辛くなって、前向きにいようとする気持ちとは裏腹に、会社への行きも帰りも涙が止まらなくて、会社にいる間も頻繁に涙が溢れてきて、もう心がもたなくなっていた。
今年の4月から、昨年度私を教え、守ってくれた先輩がいなくなり、毎日厳しい日々を過ごしていた。ずっと我慢していたが、負荷は日々増える一方で、その事を周りは知っているはずなのに、サポートも得られず、そろそろ限界が来ていた。
本当に潰れてしまう前にアラートを上げようと思い、上司に相談した。
どのようなことがあったかをここで詳しく述べる必要は全く無いが、結論からすると、私は失望して、もう会社を辞めようかと思うに至っていた。
辞めることは、逃げでは無いこと、辞める方が居続けるよりも余程辛くて苦しいことだということは、大学1年の終わりに部活を辞めた時に痛いほど知っているから、辞める事は駄目なことでは無く、苦しい選択なのだということも理解していた。その上、仕事は生活がかかっているのだから、それがどれほど痛いことなのかということは、考えるまでもなく想像できた。
その事を話せたのは家族と、身近な同期。
同期が、親しい人経由で申し入れてくれた。
これから変わる状況であり、もう少し辛抱してくれと今は言われている。
(もう何ヶ月待っているんだという話だが、まだ辛抱が必要な状況だ)
まだ現状は変わっていなくて、逆に悪い方向に動いてしまっている部分も多く、これからも更に厳しく苦しい日々になることは見えている。
今回、声を上げなければ、周りは分かっていても動いてくれないことを改めて知った。
同期には本当に感謝している。
こんなに苦しくても、会社に行こう、行く意味があると思えるのは、同期であったり、先輩や、多部署の人が仲良くしてくれて、大好きだからだ。
私も次は誰かの力になりたい。
何か問題が起こった時、当事者意識を持って動いてくれる人は本当に少ない。
多くの人は、問題の原因を自分から遠ざけようとする。
導き出された解決策は、問題の根本的解決ではない事が多い。
今、どこで何が起きているのか、深く理解し、当事者意識を持って動く事ができないのは、結局は、自分のことを守れる人は自分しかいないからだ。
他の人だって自分を守りたいから、問題の所在を自分から遠ざける。見て見ぬ振りをする。
その事に諦めを抱くのではなく、人に信頼してもらうためには、そんな状況でも、自分から心を許し、歩み寄り、人を信じるしかない。
私はどんなことがあっても、自ら歩み寄れる人でありたい。
この経験を経て、もっと私は強くなりたい。
今回の件では、力になってくれた人たちからは、自分の味方を増やすしかないと言われた。
同情して欲しいわけでも無く、かばって欲しい訳でもなく、私が悪いのであれば、最善の解決策なのであれば、辞める覚悟はいつでもできている。
エリー
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