2分1秒
先日、マラソン大会の10キロの部に出場した。
前回のブログ #2019年やりたいことリスト に、10キロを45分で走りたいと書いた。
今回はその第1ラウンドだったが、結果は47分1秒で、2分1秒足りなかった。
前半は割と飛ばしたつもりだったが、それでも5キロを通過したのは23分を過ぎていて、45分が厳しそうなのは感じていた。45分は無理だとしても最後まで全力で走りたいと思って、100パーセントの力で走り切った。
悔しさは無かった。
女性10キロの部は一番最後のスタートで、走り終わったらゆっくり休む間も無く、急いで着替えてフルマラソンを走っている会社の知り合いのトップランナー達を応援に行った。知り合いのトップランナー達は2時間半でゴールしてしまうので、休む暇は無かった。
フルマラソン経験上、かつトップランナー達にも事前にヒアリングして、会場本部のゴール近くは人が多くて見つけられないこと、最後よりも少し前が応援が少なく一番しんどいことから、できる限り自転車を走らせてコースを戻ろうとした。
しかしトップランナーは早くて、逆走が間に合わず。ゴール800m前辺りで見つけて声をかけた。
走り終わった後、お疲れ様でしたと連絡をしたら、華麗な走りを見せられなかった、悔しくて反省、ネガテイブになってしまったと言っていた。
私はその人にかける言葉が一瞬見つからなかった。
雨の日も毎日、短い昼休みも休まず5,6km走って、夜も遅くまで仕事をした後寝る間も惜しんで23時を過ぎてから10キロは走るらしい。休みの日は短くても1日20キロ。会社の実業団なわけでもなく、フルタイムの総合職。それでも走ることに人生をかけている人。そんな人に私がかけられる言葉はあるのだろうかと考えた。
私自身は目標を達成できなかったけど100パーセントやり切ったので悔しさは無かった。この人との違いは何なのだろうと考え、返答をした。
「(その人の)今日の記録は、日々の練習や目標からしたら納得のいくものでは無くて、それをオッケーにはできないのだと思うが、運動不足解消レベルのランナーである私からすると、フルを2時間40分で走れるなんて凄すぎると思う。」
「私は10キロをワンチャン45分切れたらと思っていたが、47分1秒だった。でも体調も天気も良かったし、それが今の100パーセントだから悔しくない。それは45分を切れると思う、確信できるぐらいの練習をしてないからだ。」
週に1回10キロを走って、休みの日はバスケをするか山に登るかをするくらい。運動は合計週に2日程度。普段全く運動をしない人からしたら割と運動をしているかもしれないが、45分を切ろうとしたら、この練習では到底足りないのは分かっている。
10キロを1時間を切るのと、50分を切るのと、40分を切るのは、同じ10分の等間隔でも、その難しさと練習量は時間に比例していなくて、上に行けば行くほどそれを超える量の努力が必要。TOEICの700点、800点、900点の壁と同じなのだ。700点はそれなりに勉強していれば超えられる。800点、そしてその先の900点、さらに上の950点、とてつもなく難しくなる。
私はさらに付け加えてこう言った。
「悔しい気持ちを持てるのは、それだけの練習をしてるという証拠で、その自分を認めてあげることができないのなら、あなた自身があなたを認めることを促したり、慰めたりは私にはできないし、する資格はないが、私があなたを認める。」
私は、この記録が今の自分の限界値だ。もちろん、もっともっと練習を重ねれば速くなる。でも私はその生活を目指していない。
そのランナーが、走ることを心から楽しめているのか見ていても、私は分からない。
タイムを求めすぎると、走ることが義務になって、楽しく無くなる。求めていたタイムが出ると、また上を目指す。過去のタイムより悪ければ自分を全否定してしまう。
すごく苦しいと思う。
私は前回同じマラソン大会で、フルマラソンを走った。フルマラソンは過去に5回走ったことがあって、今回はフルマラソンを走りたく無かったので10キロにした。
それは、フルマラソンがどれだけ過酷で辛いことがを知っているのと、同じ大会に2度目出るということは、フルマラソンに複数回出るということは、完走できればオッケーではないからだ。必ず過去の自分を超えなければならなくなる。
フル走らないの?何で?と聞かれるのは嫌だった。練習する時間も取れないことが見えていたが、完走はできたと思う。でも完走でオッケーには今の自分はできないと思ったからだ。
これは、知り合いのトップランナーの話とも少し被ると思う。
「人生に一回はフルマラソンが走りたい」を叶えてしまうと、もうタイムしか求めるものはなくなる。余程大きな大会や、観光地に行く大会であれば、レジャー気分もあるのだろうが。
今回応援したのはトップランナーだけでなく、フルマラソン初挑戦の友人も。
普段私の何倍も練習している人で、見事完走していたが、今の練習量でこのタイムなら、もっと上を行くには今の生活の一部を犠牲にするしかなくなる、辞めるなら今なのかなと悩んでいた。
楽しく走りたい、みんなその思いは同じなのに、続けていると見えなくなってくる。これはマラソンに限らないのではないだろうか。
立ち止まった時に見えるもの、失って初めて分かること、人生にはたくさんあると思う。
そんな自分と向き合える時間を大切にしたい。
マラソン一つで話は長くなったが、2分1秒から感じたことは以上である。
エリー
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