【特別寄稿】私の帰る場所
先日「故郷に関する旅のプラン」という題で、出身大学から記事執筆の依頼を頂いた。故郷の観光地のこととかって意外と知らなくて、故郷に関する私の想いを綴ることにした。
これもいつものブログより少し時間をかけて推考したので、その内容をこの場でもシェアしたいと思う。既に読んでくださった方は全く同じ内容です。
今年の夏は(も)、海外に行く予定だったが、コロナの影響で行けなくなって、実家に帰ることにした。海外に行かない夏というのは、多分7年ぶりぐらいだと思う。
二十代の自由な時期にこの状況になってしまったのは悔やんでも悔やみ切れないが、その状況下で全力を尽くしたいと切に思う。
母は、いつも実家に帰った時は、私のルーティンを揃えてくれている。私のルーティンとは、低脂肪ではない牛乳、ヨーグルト、バナナ、納豆だ。唯一実家にない私のルーティンの青汁は、帰る日数分持って帰るようにしている。
習慣にしているランニングは、帰省時も無理の無い範囲で行うが、母が自転車で伴走してくれる。1人で走る何十倍も楽しい。
高校を卒業して大学で一人暮らしをして以来、年に1回、多くて2回しか実家には帰っていなかった。帰れない特別な理由があるわけではなく、離れていても日本国内であるし、その気になれば三連休でも四連休でもあれば帰ることはできる。大学生の時は、その気になればもっと連休は作れたはず。
社会人3年目となる去年ぐらいから、以前よりも高頻度で実家に帰るようになった。大学生になってすぐは、まだ青臭かったのかな、親元離れて生活してる自分頑張ってる、すごいでしょ、何かそんな風に威張る?自分がいたのかもしれない。意識的に両親とあまり連絡を取らないようにしていたのかもしれない。
その頃は、わざわざお金と時間をかけて地元に帰るぐらいなら、同じお金と時間を使って別の場所に行きたいとも思っていた。
社会人になってから、学生時代よりも物理的に実家からより遠い距離になったのもあって、より両親と連絡を取るようになった。今日こんなご飯を作った。月曜日、気が進まないけど、何とか頑張る。コミュニケーションというより、単なる日記かもしれない。
社会人になってから、よく泣くようになったと母に言われた。自分でも自覚はあって、頻繁に泣いている。悲しいことが増えたわけではなくて、大学生の時もそんな楽には暮らしていなかったから、悲しいことは沢山あった。社会人になってから、涙腺が弱くなって、悲しい時はもちろんだが、嬉しいとき、幸せなとき、全部感度が高くなって、泣くようになった。実家に帰って母がご飯を用意してくれていた時も、ああなんて平和で恵まれていて愛されているんだと泣く。そのぐらいの感度。
辛い時に私は辛いと正直に打ち明けられる家族がいることは、本当に心の支えになっている。
年々、自分が年齢を重ねていって、親も歳をとる。当たり前だが、それが何か怖くて、いつでも簡単にこの現実が壊れてしまいそうな気がして、少なくとも自分が自由に動ける時、会える時には会っておきたい、家に帰りたいと強く思うようになった。祖父母に対してもそう。近くにいる従兄弟よりも余程祖父母に会いに行っている。
私の周りには、様々な事情があり、特定の帰る場所を持っていない人もいる。子供の独立と同時に、実家が無くなったという人もいる。私には、故郷に帰れば家族がいるという場所がある。それって当たり前ではなくて、幸せなことだと知った。
何をするわけでもなく、故郷に帰って顔を見せる。親になったことはないので親の気持ちは分からないが、両親はそれが嬉しいと言ってくれる。近くで働かなくていい、地元に残らなくていい。自分の人生は自分で決めて切り開いて欲しい。自分たちが経験してこなかったもっと広い世界を知ってほしい。私たち両親は遠くからでもそれを見守りたい。それが両親にとっての幸せだと言っていた。
実家では、昔使っていた物がそのまま今も使われている。
まだこれを使っているのかと懐かしむと同時に、両親は、子育てを優先し、自分のためにお金も時間も使うことができなかったんだなと感じる。今も帰った時は一緒に外に遊びに行くが、両親は、遊んでもらっているのは私たちだと言う。
この夏は帰省をやめた人も多いと思うが、離れていても、故郷や家族を思いやる気持ちはどこまででも届くものだと感じた。
エリー
0コメント