バスケ
社会人になってから社会人バスケを始めた。
小学生の時にバスケを始めてから、バスケに対してはポジティブなイメージをほとんど持っていなかった私が、なぜ社会人になってから再びバスケを始めたのか、過去のバスケのお話から、今のバスケに対する気持ちを話したいと思う。
ここでは、バスケについて語りたいわけでは無くて、バスケはあくまで例であって、それを通して、何か自分のトラウマとか、伏せたい過去とか、苦い思い出、しがらみがあるけれど、何とかそれに向き合いたい、乗り越えたいという気持ちを持っている人に是非読んでほしい。
私のバスケとの出会いは小学校低学年の頃。
姉と同級生の近所の友達がしていて、姉が誘われて始めた。小学生でガチでやってるチームがあまり多くないのもあって、全国大会も狙うレベルのチームだった。姉の姿を見ていると、見るからにハードで、苦しそうで。自分は絶対にやりたく無かった。
姉の送迎についていってたら、背が高かったのもあって案の定誘われて、いつも断っていた。それでも何度も誘われて、高学年になった時に流れで始めた。
始めたらもう辞めることはできなくて、平日も休みなく、土日も朝から晩まで、夏休みも春休みも毎日朝から晩までバスケ漬けだった。2日連続の休みなんて記憶に無いぐらい休みがなかった。土日や長期連休は遠征に行くこともあったし、多忙だった。ピアノも習字も公文も陸上部もやってて、死にそうな毎日だった。その頃は一食に1,000キロカロリーじゃ足りなくて、少食の子からご飯を分けてもらっていたし、回転寿司では一食20皿は食べていて、一食2合ぐらいは食べていた(小学生の女の子ですよ笑)。それでもガリガリだった。
当時はまだ容認されていた体罰もあって、私はまだ他のメンバーよりマシだったが、殴られて蹴られて。3人組になって一番走るのが遅かった人が残って走り続けるといった残酷なメニューもあったり、プレーの調子が悪ければ、怒られて体育館から投げ出されてコートに入れてもらえなくて、入れてください!と入ろうとしたら大人からボールやパイプ椅子を投げつけられて(今は分かり合ってるのでご安心を)。
それでもバスケが好きだという思いでやっているメンバーが多かったのかもしれないが、私は嫌で仕方がなかった。でも辞めることはできなかった。
今でも覚えているのが、小学校6年生の時に書いたタイムカプセル。20年後の32歳の時に開けるので、まだその時は来ていないが、こういうことを書いたのを覚えている。
「小学校時代の今が、これから先も含めて人生で一番しんどい時だと思っています」
この言葉は15年経った今もその通りだと間違い無く思う。
とは言いつつ中学校も楽ではなくて、バスケ経験者だから既に目をつけられていて、違う部活を選ぶことはできなかったので、当たり前のようにバスケ部に入った。
自分の中学校には、小学校から始めていた人が私ぐらいしかいなくて、エースでありキャプテンであり、ヤンキー校の初心者のチームを纏めなければならなくなった。
この頃は一番孤独で辛いことばかりだったので、精神的にも病んで鬱になっていた。身体にも異常が起きていた。母には、なぜ小学生の時に私がバスケに入ることを止めてくれなかったのかと責めてしまったこともあった。母も、嫌がる私を止められなかったことを悔やんでいた。
中学校は、弱小チームで市内大会1回戦か2回戦負けだったので、何かの形で自分を見つけてもらって評価してもらわなければ個人として地区選抜には入れなかったので、個人のスキルの上げ方も常に模索していた。
高校では、小学校時代共にプレーしたメンバーや、中学校の地区選抜で一緒になったメンバーと同じ高校に進学して一緒にプレーできることになった。勉強も忙しくて大変だったが、バスケが楽しいかもしれないと初めて思ったのが高校だった。
高校では私は過大評価されていて、大して上手くないのに、周りのメンバーとの調和も踏まえて、先輩を差し置いて試合に出してもらっていて、贅沢なのだが、それはそれで悩むこともあった。それでも、志が同じメンバーとプレーできたことが幸せだった。
大学時代はもうバスケはしないでおこうと思っていた。でも何か運動はしたくて、バスケ部を覗いたことがあった。全国大会に出るレベルの強いチームだったが、自分が練習について行けないレベルではなくて、気づけば入っていた。
でも強いチームなので、バスケ推薦で入部している人が多く、短期留学やボランティア行ったりしていた私は、もちろん試合にも出られないし、ベンチ入りを逃すこともあって、バスケ専任の大学生活を送れない人というレッテルを貼られることとなり、その後も長期留学にサークルにボランティアに、色々なことをしたかった私は辞めざるを得なくなった。
小学校から、あれだけ辞めたくても辞めずに頑張ってきたバスケを、私は大学時代、一年弱で辞めた。自分の考えやその時の状況を紙に書いて、ずっとずっと考えて導いた決断。何度も泣きながら母に相談したし(結論は決まっているのだが)謝った。正直それ以外の決断をする余地は無かったのだが、それでも人生の中でもトップに入る辛い決断や出来事で、何かを辞めることは、続けることよりも何倍も何十倍も苦しいし辛いことだと思った。その経験があったから、私はその後苦しいことがあっても仕事を辞めなかったんだと思う。辞める人って弱い人に見えがちだけど、私からしたらその人たちの方が何倍も何十倍も考えてるし勇気があるし色んなことを乗り越えてるしすごいと思う。結局それ以降バスケをしてこなかった。
途中で何かを投げ出した自分がすごく嫌で、それ以来心を閉ざしてしまったこともあった。今でもランニングを続けていて、一般人の中ではそこそこの体力を維持してるのは、バスケすら続けられなかった弱い自分を乗り越えたくて、見返したくてそうしているのだと思う。
だから、そんな過去のあるバスケを社会人でまた始めることにしたのは、自分でも驚いているし、周りも驚いているかもしれない。それは、最後にバスケを嫌な思い出で終わらせたく無くて、好きになりたかったからだと思う。
社会人でスポーツをする人って、友達の集まりでない限り経験者が大半。かつ仕事や他のこともあるので頻繁にできるわけではない。私は小学生からやってるのでその割に上手くないが、そうはいってもアドバンテージがあるのでプレーは比較的しやすい。
今は主に地域の社会人バスケでやっている。
引っ越した時にネットで調べて直撃で連絡して行かせてもらった。
地元の高校の同級生3人で立ち上げたサークル。
青春時代を共にした人たちと、全く出身の違う私は全然ルーツら違うけれど、すごく良くしてくれる。
私みたいに地元から離れて住んでいる人が地元に帰ってきた時には、ゲスト参加者としてバスケにして来ている。reunion。彼らの青春の一幕に私も立ち会える事が嬉しい。
女子メンバーは3/32人で、1人はもう結婚されていて忙しいので、もう1人の子と2人でディズニーに行ったりご飯に行ったりしている。
この土地での唯一の友達で大切な人。
会社のバスケサークルにも入ってたまに行っている。自分の過去も何も知らない人たちと、気持ち良くバスケができる幸せを噛み締めている。
また始めて良かったなと心から思っている。
中学校のバスケ部の同級生はもう連絡先すら分からなくて、音信不通。そういう環境だったからそれはもう仕方がないなと思う。高校のバスケ部の同級生とはたまに会うが、その度にバスケを通した自分の過去を振り返っている。
長くなったが、ここで伝えたかったのは、皆さんにも何か自分のトラウマとか、伏せたい過去とか、苦い思い出、しがらみがあるかもしれない。
でも、それにまた今向き合うことで、その過去すら全て受け入れて、前に進めるものになるから、無理にとは言わないが、また重い扉を開けてみれば、その先には素晴らしい世界が待っているかもしれない。
エリー
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