人から認めてもらうこと

先日新聞を読んでいて、菅総理の演説の話があった。その新聞によると、菅総理は感情に働きかけるように話すのが得意ではなく、やる気がない、気持ちが乗っていない、棒読みと一部の国民から批判を受けているそう。

恐縮ながら、確かに演説的なことはあまり得意な感じではないように思う。

それは総理本人のパーソナリティはもちろんだが、総理という立場もあって言っていいことダメなこと、全部に気を遣わなければならない立場もあってのことだと思うし、すごく難しいと思う。私も多分その立場になったら一言一言の重みが大きすぎて結局何も話せず泣き出すと思う。

菅総理は、原稿棒読みを脱するため、カメラに原稿を投影して下を向かないようにしているみたい。


本当の能力よりも立ち振る舞いでリーダーシップや能力が判断されること、支持されたりされなかったりすること、私たちの日常でも往々にしてあると思う。


私の場合でいくと、私はいつも真剣な眼差しをしており、賢く見えたり出来る人に見えるらしい(母談)。

社会人になりたての22歳でも10年目ぐらいのベテランに見えると言われたことがある(それはそれで年齢とかの問題で評価する発言として不適切な可能性があるが笑)。

老けているというネガティブ側面はあるものの(涙)、落ち着いている、しっかりしていると評価されることもあった。

常に若々しくいたいと思うが、仕事では下に見られない、舐められないのは大事なのかもしれないと自分には言い聞かせている。


自慢のように書いてしまったが、私としてはあまりポジティブには捉えられていない。見た目に中身がついていないことが割と悩み。大してできないので、期待値が高くなる分相手を後でガッカリさせたりさせてしまう。


見た目やイメージに中身がついていかない例でいうと、このブログを読んでくれている人なら似たようなケースに遭遇したことはあると思うが、学生の頃は、特に中学生まではガリ勉と言われ周囲から距離を置かれ離されて、孤独だった。だから、真面目そうと言われることは私にとって嬉しく無くて、むしろ侮辱にも感じて、チャラいと言われたいと心から望んでいたし今も少し思っている。その割に、中学での成績は学年で1位や2位になることはほとんどできなかったし、何かで上手くいかなかったことがあったときには、珍しいね、らしくないねと言われるのが一番辛かった。今でも、出身大学を聞かれたときに「〇〇大学です」と言うと、一部の方からは「あ、そうだんだ」と意外に思われることも少なくなくて、私そんなにできる人に見られてるのかと思うことはよくある。この人たちには一生認めてもらえないんじゃないかなと思うこともある。当時の自分にとってはD判定の境界線だったのに。


成績が悪くても自分が手を抜いたことは一度も無かったし、それでも期待通りの結果を出していないことを責められる。中学の頃に限定すると、真面目に生きて何が悪い、やらなければならない勉強や与えられた課題を全力でこなすのが学生の仕事だろう、人前で不勉強な振りをして裏で懸命に勉強するほど私は暇じゃないんだ、わざわざケチをつけるな、全てのことに真剣に向き合え、と心では思っていたものの、そんな発言をしたとたんいじめの標的になるので身を潜めていたのが事実。


話は若干逸れたが、ここで政治的発言をするつもりもなければ、そこまで深く政治を理解していないのでコメントはできないが、ピンチヒッター起用の菅総理、すごく難しい大変な立場だと思うが、私は応援しているし、個性を強みに変えられると思う。


関連する話題として、オンライン英会話関係でYouTubeで見つけたいろはちゃんの話。

9歳の女の子で、29歳の母親が英語を勉強するためにいろはちゃんと共に2年前フィリピンのセブに9ヶ月住んでいた。帰国後もオンライン英会話などで英語の勉強を続けている。彼女の一番尊敬するところは英語を心から楽しんでいるところ。いつも楽しそう。

大人になると、楽しむことを忘れて義務になってしまうこと、たくさんある。私にとっての英語学習はもちろん、読書などもそう。

いろはちゃんみたいに心から楽しんでいる人は、誰もが認め、応援したくなると思うし刺激を受ける。


また少し関連する話。

先日、出身大学の就活セミナーに講師として出ることになった。大学のキャリア関係の部署から出演の声をかけてもらった。私としては断る理由が無いし、むしろ自分への刺激のために、自分自身の頭の整理のために出たかった。

人前で話すことは好きだし(厳しい打ち合わせは、、、だが笑)、学生と接触したいし、他の卒業生とも会いたいし。

事前の準備資料は壊れかけの大学時代のパソコンを使って準備した。タブレットとノートパソコン、在宅勤務用に買ったモニターと3台体制で臨んだ。

オンラインだったが講師10人弱に対し学生は200人弱の参加予定。当日は半数以上がキャンセルで80人程度。


驚いたことに、こちらはカメラをオンにして話しているのに、学生は9割9分音声とカメラがミュート。質問もチャットでする。

他の学生と同調意識もあったのだと思うが、顔も見えない、声も聞こえない、見知らぬ人に4時間必死に話し続けるのって精神的に辛いなと思った。

そんな中で3人ほど顔、声を出してくれた学生がいて、彼らの勇気が素晴らしいし、そういう意欲をもった学生はやはり認められるべきだなと思った。



最近読んだ本「閃光スクランブル」加藤シゲアキ


また加藤さんの本を読んだ。早く小説書かないと笑

「ここにいる全員が『そんなことするような人には』って奴だろう」

「この世界で生きられるのは、よっぽどの天才か、鈍感な人間だけ」


今の自分を作り上げたのは、自分だけではなくてこの人だという大切な人がそれぞれにいる、そういうことを感じさせてくれた本。世間に思われている自分と自分が理解している本当の自分は違うこと。菅総理や私自身、いろはちゃん、大学生の話を書いたが、私が理解した彼らと彼らが理解している彼ら自身は全く違うものだから、「閃光スクランブル」主人公の巧と亜希子のように、本来の自分を出せる生き方を私もしたいし、誰もが自分を認め、周りからも理解を得られる世界になってほしいなと思った。


加藤さんの1作目「ピンクとグレー」と違って基本は第三者目線だったことに最後の方で気づいた。

本の最後の方は、書き手の視点がコロコロと変わったように見えて、小説としては攻めたなぁ、私にはでき無さそうと思った(そんなこと言っておらず早く書け笑)。


複数のトピックを繋いだ話、今日はこれで終わり。


エリー


エリーぶかぶかダイアリー

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