自閉症の僕が飛び跳ねる理由

東田直樹さんの「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」を読んだ。東田さんのこの本は、村上春樹さんの本の次に多くの言語(30カ国以上)に翻訳されているようで、知っている人も多いかもしれない。

朝のNHKのニュースで、この本が映画化されたと見て、読んでみようと思った。毎朝、朝の準備をしながらNHKのニュースを高速で頭にインプットするのが私のルーティン。毎日一つは特集のトピックがあって興味深い。

ニュースを見ながら、一つの番組の制作に関わる人たちの仕事を想像したり、アナウンサーって毎日コンディションを最高まで持っていかないと視聴者からあーだこーだ言われる中、変わらぬ様子で出演し続ける、トラブルがあっても臨機応変にその場で判断し行動する、すごいプロ意識を私も学ばないとなぁとか感じながら見ている。

朝のニュースでも私は見ていて泣くことが多いが(安定の涙脆さ)、アナウンサーって棒読みでもダメだし、個人的感情を入れすぎて涙してもダメだし、気持ちのコントロールもすごく難しいなぁと思う。

話を元に戻す。障害のある人の気持ちを本人が語ることは、なかなか実現が難しい部分があると思うが、彼 東田さんは訓練によって筆談コミュニケーションができるようになったそう。直接パソコンのキーボードに入力することもできるが、1番落ち着いて気持ちを表現できるのは文字ボードと言っていた。

この本には、しきりに「僕たちは」という言葉が出てきた。自閉症の人たちは思っていることと行動が一致しないことがあり、誤解されてしまう。自分たちの気持ちを伝える代表者になりたい、そういう東田さんの想いが見えた。

自閉症の人は、何を考えているのか分からなかったり、一見変わった行動をしたり、制御できなかったり、周りの人たちから見ると異常に思える行動を取ることがある。

彼らも彼ら自身の気持ちを理解するのに苦しんだり、理解できていても言葉や行動で表現ができず、自分がうまく表現できていないことは理解しているのに、周りの人は変わり者扱いする。
その気持ちを吐き出すこともできない。
やりたくてやっているわけではないけれど自分はそれを止められない、脳が命令してくるので従わなければならない。自分が生きるべき場所はこの地球の地上ではないのに生きなければならない、そう綴ってあった。

思い通りにならない体、伝えられない気持ちを抱え、いつも僕らはぎりぎりのところで生きている。
子供のおもちゃでよく遊ぶが、それは本人たちが本当にやりたいことではない。慣れているので身体が動く。大人たちはそれを、楽しんでやっていると思う。実際はもっと高度なことをしたい。でも慣れないことをすると頭がパニックになる。

最後に東田さんが書いた短編小説があった。近くにいる人に伝えたいのに伝わらない気持ちを綴った小説。東田さんが普段どんな気持ちで考え生きているかを感じることができた。

この本を英訳をした方が最後にあとがきで書いていたが、この本は自閉症の子を持つ親はもちろん、自閉症でない人たちにも、彼らを理解する上で読んで欲しいと書いてあった。私たちは自分の感情や思いを自分の制御部分で一旦受け止め、整理選別し一部を外に出す。自閉症の人たちは、それがしたくてもできない。自分ができていないことを明確に自覚していつも闘っている。

色んな人が平和に共存する社会を作る一人でありたいなと思った。

エリー

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