夏目漱石の「こころ」を読んだ。
夏目漱石の「こころ」を読んだ。
夏目漱石の「こころ」は、別の投稿で感想を書いている見城さんの本で勧められていた本の一つで、
見城さんの人生にインパクトを与えた本と知って、読むことにした。
主人公の「私」、私の両親、先生、先生の奥さん(先生の手紙ではお嬢さん、妻と書かれている)・奥さんの母(手紙の中では奥さん)、Kが主な登場人物。
私が先生と出会った後、私の父が病気になった。
その中で、学問をさせるのも良し悪しであると述べられている。
学問をした結果、私の兄は遠国に行き、教育を受けた因果で、私はまた東京に住む覚悟を固くした。私は、長年住み古した田舎にたった1人取り残されそうな母を心配した。
やがて、覚悟をもって生きなければならない、世の中に矛盾があってはならないという思いを持つに至り、Kも先生も自殺することになった。
これは私自身にも落とし込める話であり、大学まで行って勉強をしたから、地元に残らなければならない、地元でしか仕事が無いのではないかという考えは無くなり、全国、世界中、どこでも生きていけると確信するに至った。
両親は無理に教育を受けさせたわけではなく、私の希望を叶えてくれた結果が実家を離れて大学進学、就職ということになったが、果たして両親はそれを望んでいたのかとふと考えた。十分な教育を受けなかったとしても、両親の元で暮らしている方が、両親にとっては幸せだったのではないか、今の形は両親が望んでいることなのかと考えた。
そして、学問をするからこそ、味わう感情や苦しみが私やKにはあったのではないかと思った。
こころの上中下の下の部では、先生から私に宛てた手紙が書かれている。登場人物と区別して、この文章を書いている私は、本を読むことで生きられなかった他の人の人生を生きたい、もっと深い思考をできる人になりたいと以前言述べた。
先生の手紙を読んでいると、深い思考の前に、文章の表現の幅、広さを学ぶことができた。そして、深い思考とは、深い表現力の元に成り立つのではないかと思った。表現を知っているからこそ、その思考を持つことができる、うまく言い表せないが、表現する術を持っていなければ、その感情は人間の元には生まれないのではないかと感じた。
挙げようと思えばキリがないし、数々の表現を私自身が自分の中に取り込みきれていないのもあるが、例えば、先生が叔父との談判を開いた話。
「談判という言葉で形容するより他に途のないところへ、自然の調子が落ちてきた」
先生がKとの過去を早く私に伝えたいと思っている中での手紙の文章。
「私のペンは早くから其所へ辿りつきたがっているのを、漸との事で抑え付けている」
先生とKとの話。
「冷ややかな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じている。血の力で体が動くから。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にもっと強く働き掛ける事が出来るから」
先生がお嬢さんを好きであること。
「私は金に対して人類を疑ぐったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかった」
夏目漱石の「こころ」を読んでいるんだと姉に言った時、高校の時に「こころ」を読んで感想文を書くのが宿題だったよねと言われた、
こころを読んだ事があるとは記憶に無かったが、上中下の下の途中からは、確かに読んだことのある記憶が蘇ってきた。
先生がKから、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言われ、後に同じ言葉をKに言い返した文章が、国語の授業で取り上げられていた記憶を感覚的に思い出した。
こころを読んで、一番近い人との関係において、お互いが全てを伝え合い、理解し合う関係性か、踏み入れない領域を持つべきなのか、考えた。伝え合ったからといって理解し合えるかはまた別の話だ。
お嬢さん、つまり先生の奥さんが、ずっと先生と分かり合えなかったのは、先生が奥さんに全てを語らなかったからだが、先生が語らなかったのは、他ならぬ奥さんの為であった。
その事に苦しんだ先生は自殺することになった。どの道を選んても皆が苦しむ。そうなのであれば、全てを打ち明けるべきではないか、しかし先生は、打ち明けることによって奥さんが味わう苦しみを、全部自分で受けようと決意していたのである。
ここからは、巻末にあった他者のレビューを読んで感じたことを述べる。
三好行雄さんの「こころ」のレビューにある通り、この小説は全てを知った後の「私」が当時の私を述べているが、核心には触れられず、私と両親の関係も途中までで終わり、先生の手紙を読んだ後の私についても一切述べられていない。小説として、あまりにも不自然な収束である。
それは、先生の遺書があまりにも長くなってしまった、漱石の肉声が響いた自己移入だと述べられている。明治の精神、固有の論理を貫いた自己処罰の帰路によって先生やKは殉死した。
漱石の当時の考えや、時代の変化の感じ方、生き方が全て現れており、小説を理解するにおいて作者の当時の様子を知ることは不可欠であることを知った。
エリー
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