ニューヨークに行って感じた7つのこと
前回は2年半越しの姉との卒業旅行でニューヨークに行った話をしたが、ここでは①〜⑦に分けて、ニューヨーク旅行で感じたことの話をしたいと思う。
①英語ができないお前が悪い
パーっとスラスラ英語を話されても、私たちには、正直何を言っているのか全く伝わらない。
一言一言伝えようとしてくれる人は、内容が不十分だったとしても十分に伝わる。
言語は伝えたいと思うかどうかであって、できるかどうかは問題ではないことを改めて感じた(もちろん最低限の勉強は必要だが)。
かつ、英語が分かると便利だなと改めて感じた。これは、自分が英語をある程度理解していること、まだまだ理解しきれていないこと両方を意味している。
国連本部のガイドツアーに参加したが、ガイドはアメリカ人でもちろん英語はペラペラ、でも機嫌が悪くただ言わなければならない内容をさーっと話しているだけで、聞こう、理解しようと耳と心を傾けても、なかなか伝わらなかった。でもそれは伝えようとしていない相手が悪いのではなく、理解できない私が全て悪いことになっている。
通常海外では、相手と話す言語が違うので、お互いの歩み寄り、すり合わせが大事だと思っている。お互いが分かるレベルの英語ですり合わせるのか、それが上手な文法や単語を並べることでなくて、簡単な単語のみの方が伝わることもある。またはジェスチャーなのか、それとも不慣れながらも相手の言語を使うのか、こちらの言語を分かりやすく話すのか。
しかしアメリカをはじめとする英語話者圏では、お互いの歩み寄りではなく、いかに私たち訪問者側が相手に近づけるかが全てである。
相手は理解しようとしてくれる人や、ゆっくり話してくれる人もいるが、基本的には意思疎通が取れるかどうかは私たち訪問者側次第であり、取れなかった時の責は全てこちら側にある。
私はある意味それは怖いと思った。
これは、英語のネイティブスピーカーに話しかける恐怖も意味している。
②みんな適当に生きている
あまり先進国に来ることは無かったが、アメリカに来てみて、みんないい意味で適当に生きているなと感じた(途上国は同じように適当なのだが、彼らは命をかけて、生きるために仕事をしていることが伝わってくる)。
日本人みたいにキチキチ生きる必要はない。適当に生きていると言うとアメリカ人に怒られるかもしれないが、批判しているのではなく、羨望である。私も肩の力を抜いて適当に生きたいなと羨ましく思った。
旅行に来ると、自分が普段悩んでいることや考えていることがいかに小さなことなのか、自分はなんてちっぽけな存在なのかを感じさせられる。
③国籍なんて関係ない、どうでもいい
街を歩いていると、周りの人が、どこの国籍の何人かなんて分からない。国籍なんてどうでもいいといった雰囲気であった。何人であろうとここでは英語を話さなければならない。
誰が英語を母国語としているのかはぱっと見分からないし、誰も気にしていない。
色んな人が共存しており、周りのことに気をかけていないようであった。白人よりも黒人が多かったが、アジアの人は少ないように感じた。
④とりあえずExcuse meって言っておけば許される
日本で「すみません」と周りの人に声をかける内容には限度があるが、アメリカではそんなの関係ない。
Excuse me言ってたら何でも許される。本当にすみませんって思ってるかと疑うが、Excuse meの意味合いも、日本語の「すみません」とは異なるのだろう。
順番抜かしも、無理やり突っ込む時も、何する時もExcuse meで片付ける。
おいおい、Excuse meって言えば何しても良いのかよと思うが、何をしても良いのだ。
⑤バリアフリーの真逆の世界
ニューヨークは車椅子の人や、身体が不自由な人は住みづらい。
今回、大きなスーツケースを持ってニューヨークに来たが、スーツケースを持っていると駅の改札も通れないところがほとんどだった。
エレベーターがついていない駅がたくさんあり、無理してスーツケースを担いで階段で地下鉄の改札まで行っても、改札を通れないのだ。その駅は必然的にスーツケース持ちの私は使えないし、エレベーターがついている駅でも、エレベーター付きの出入り口は一つで、複数の出入り口がある駅がほとんどだが、その一つの出入り口しか使えないのだ。
スーツケースがあるから、最寄りの駅を使えないことも何度かあった。
私はスーツケースがあるからできなかったが、車椅子など、普段からバリアフリーでないと生活に困る人はここには住めないと思った。
⑥ニューヨークだけでは分からないアメリカの姿
ニューヨーク旅行中、一泊二日でカナダとの国境のカナダ側まで行くナイアガラの滝ツアーに参加した。
長い時間バスに揺られたが、ニューヨークの外のニュージャージー州や、ペンシルベニア州など、ニューヨークだけにいても分からない自然とか田舎の暮らしを見ることができた。
改めてアメリカは広大な土地で、ニューヨークはその一欠片に過ぎないことを感じることができて、とても良かった。
⑦ニューヨークで生活する日本人の苦悩
ヤンキースの試合を見た。旅程に合わせて見る試合を決めてチケットを取ったが、たまたま田中将大選手が先発してた。
試合を見たが、守備のやる気が無さすぎて、守れるだろというところでも周りの協力が得られず、相手に点を取られていた。お前なんぞに何が分かると思われると思うが、とても大変そうだなと思った。
コミュニケーションも、言語や文化の違い含め、生活など、私が計り知れないレベルの苦悩があるのだと思うが、日本と比べてとても苦労してるんだろうなと思った。
ナイアガラの滝ツアーのガイドは日本生まれ日本育ち、学生時代にアメリカに留学し、その後アメリカ人の奥さんを持ち、今はニューヨークで生活しているということだった。
英語はペラペラなのだが、やはり育ちが日本ということがあり、日本語の方が上手いことは聞いていてすぐに分かった。純ジャパが言語面で劣り、辛いというのは私も分かっているから、だからこそ、彼の今の姿は、育ったバックグラウンドではなく、全てが彼の努力の賜物なのだと思った。
ガイドの賃金は高くないようで、チップで生活費を賄っているということだった。
ガイドブックでは、個人で雇ったガイドでなければチップ不要と書いてあったが違うようだ。
ツアー終了時にガイドからチップを要求された。言っておかなければ半数日本人のツアーではチップは集まらないだろう。
日本人相手にチップありきのツアーを開催し、チップを自分から要求するのは、とても辛いものがあるのだなと思った。
私もツアーに何万円も払って、この旅行では中古車一台なんて余裕で買えるお金を使っている。水ですら数ドルと高くてケチってるのに、チップにまた何千円も払うのかと嫌な気持ちになったが、ガイドの気持ちを考えたり、ここでケチったことが将来の自分の為にはならないと思って相場だと言われたチップを日本人ガイドに支払った。
番外編⑧日付間違いで飛行機に乗り遅れる
ニューヨークへは、香港の乗り換えで行ったが、帰り、時差の関係で日付が進むことを忘れており、香港から日本の飛行機に乗り遅れた。
同じ航空会社の乗り継ぎであったが、香港で荷物を一旦引き取ると申し出ていた私たちに、乗り換え時間が短いことを伝えてくれる人もおらず、不運が重なった。
仕事が始まる前々日の夜に日本に着く便を取っていたが、翌日の便も全て満席ということで、取り直しができなかった。"Stand by"というキャンセル待ちなら登録できると言われ、登録してもらったが、キャンセル待ちもたくさんおり、キャンセル待ちを待つのみの手段は余りにもリスクが高かった。スタンバイは"Stand by"の略であることを初めて知った。
大金を払ってでも出たかった、出る必要があった月曜の仕事があった。
だから、何とか日本に飛べる飛行機を探した。東京や大阪着の飛行機には空きがない、またまた週に2日運行している熊本行きの飛行機、熊本から東京行きの飛行機に空きがあり、即座に予約した。
お金を失うよりも、お金で信用を失うことを阻止できるのであれば、それを取る必要があった。何とか予約した便は多少の遅れはあったものの予定通り運行された。熊本から東京行きの飛行機は、私が乗る次の便は欠航になっていた。次の便の方が安かったので少し悩んでいたが取らなくてよかった。何の為に熊本空港まで来たのか分からなくなる始末になっていた。その時の状況を想像した私は震えた。
日本の空港に戻ったらいつも思うことだが、日本は整然としていて快適だ。
なのにまた海外に行きたいと思うようになる。
人生を危険に晒したいと思う。
このように思ったことを順不同に並べたが、
このニューヨーク旅行をただただ楽しかった旅行として留めておくのは勿体無いと思ったのでまとめてみた。
行く人によって感じ方は異なると思う。
是非他の人の感想やも聞いてみたい。
エリー
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