24歳を迎えて
先日誕生日を迎えたのだが、21歳ぐらいの誕生日の時は、人生の身体的ピークを越えていることがショックで、歳をとりたくないと強く思っていて、悲しかった記憶がある(女性は体力は14歳、若さは20歳ぐらいがピークだと思っています、実感しています)。
24歳にもなると、身体的ピークを越えていることはもう認める。仕方ない。どんどん若い子が会社には入ってくる。体力の衰えを感じる。全盛期の自分と比較して動けなくなっていることがショックで、やる気を無くしてしまう人も多いそう。確かに感じるが、でも、今の自分と向き合って最高の自分でいられるように、受け入れながらも最善の力を尽くして運動は続けたいと思っている。
今は、先を見ようと思えるようになってきた。
誰から強制されるわけでもなく、目標を考えた。去年は、「ポジティブ・笑顔」と目標をあげた。
振り返ってみると、ゆうこすにポジティブな影響を受け、考え方も全て前向きになれたと思う。私はポジティブな人と関わるようにしているし、ポジティブを布教するようにしている。あなたといたら前向きになれると言われるような、ゆうこすみたいなパワースポットになりたい。
そうしていると、ポジティブなところがいいね、いつも前向きで楽しそうと言ってもらえることが多々あって、とても嬉しかった。
私は周りに良い影響を与えられる人になりたいと常に思っている。
そんな中、今年は、「有言実行、他者への想像力」を目標としてあげる(誕生日当日に考えた)。
「有言実行」
私の大好きなゆうこすの言葉。「とにかく言い続ける。そうすると、いつか本当に前向きに考えられるようになるんです。最初は言い訳に思えるかもしれないけど、でも、それでポジティブになれて成功できるんだったら、それでいいじゃないですか。」
言ったことは必ずやり遂げるという意味ではない。口に出して言うからこそ、実現できるんだと思う。言ってることは現実になる。実現させたいことは、周りに伝えること。自分自身に言い聞かせること。これを大事にしたい。
「他者への想像力」
先日読んだ本に書かれていた言葉。
「私には、人の気分を害する権利はない 。
自分にとって最悪な日でも、誰かの最高に幸せな日かもしれない。
こんな些細なことが人間関係を確実に上向きにしてくれる。」
誕生日の1日は、9月の期末で仕事がすごく忙しかったけど、年に一度の誕生日だから、最高に幸せな1日にしたいと思っていた(22時過ぎまで会社だったけど笑)。
私にとっての幸せにしたい1日はその日であっても、他の日は誰かにとっての大切な日かもしれない。最高に幸せな日かもしれない。その1日を台無しにする権利は誰にあるのだろうか。
だからこそ、私は何があっても笑顔でいたいし、もちろん泣きたい時はたくさん泣く。でも人の大切な1日を、私自身が台無しにすることがあってはならない。私もあなたの大切な日を大切にしたい。
走り続けてる時や、焦ってる時、苦しい時、視野が狭くなっちゃって、いろんな角度から物事を考えられなくなる時がある。私は走りながら考える人だけれど、立ち止まる大切さも感じつつある。
自分が一番楽しめてない状況で、妥協して嫌な事を続けてその状態を応援してもらうのは失礼だ。
みんなが優しくて、温かい人が私の周りにはたくさんいる。
私が頑張る理由は全部ここにあるなと思っている。
いつもありがとうございます。
エリー
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