自分の未来に期待しすぎている
先日、私が尊敬する福田恵里さんという起業家が、恵里さんの知人のブログを引用していた。
そのブログのタイトルは「自分の未来に期待しすぎている」
22歳当時のその方が、32歳の自分に手紙を書いていた。
それを32歳になって読み直した時。祈るように将来の壮大な夢の成功を願う気持ちが書かれていたそう。
それを読んで、どうも自分が未来に期待しすぎていたなと思ったという。
『東京に住みたいとか、年に一度は海外旅行に行ける経済力と時間を持ちたいとか、そうした小さな目標は大体クリアしているけれど、過去の自分が期待していたような「圧倒的地位!」「大会社を経営!」みたいなものは別にないし、なんなら過去の自分よりも時間にも余裕はあり、寝る間を惜しんでインプットするどころか、有識者との食事会に参加するどころか、毎晩9時には息子と眠っている。だけど、とても幸せだ、多分これまでの人生でいちばん幸せ。
成功や幸せの定義が変わったのだなと想いつつ、それでも十年前の自分が描く32歳の私があまりにも眩しかったことに胸がズキッとした。「どうか今の私が羨ましくて仕方ないと思える毎日を送っていてほしい」と締めくくられた手紙(どんな手紙やねん)をそっと閉じ。果たして今の私は、あの頃の自分に羨ましがられる人間なのか?と自問自答した。』
そう綴られていた。
今何かがモヤモヤして苦しいのは、未来の自分に期待しすぎているからだろうか。周りと比較して何もできていないと悲観しているからだろうか。
もっと適当に生きたい、もっと気楽に生きたいと思うが、でも本当に解き放たれてしまうと、不安になるんだろうなというのは分かっている。背負ってるものがあってももっと強く生きられるようになりたいと思うと同時に、幸せのレベルを高く持ちすぎでは無いか、そして、その描く幸せだと今思っていることを将来実現できたとして、今の期待通りには世界はこの目に写らないのだろうとも思う。
自分の未来に期待することは悪いことではないが、今はこうなりたいという未来像が描けない。目標が無い、分からない。
でも、いつもこういう人でいたいという自己像はあるし、心から応援している人もいる(ゆうこす)。
ブログを書きながら聞いていた曲
乃木坂46 ジコチューで行こう!
ある人に、この曲はエリーのことを歌ったような曲だと言われたことがある。(エリーごときが自分の曲だと言い張るのは偉そうなことだとは理解しているので許して欲しい)
エリー
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