期待していない自分
誰にでも、自分や相手に対して怒りや悲しみの感情を抱いた経験はあると思う。それがなぜ発生しているのかというと、自分や相手に期待するからで、期待する結果を出せない、出してもらえない時に落ち込んでしまう。怒ってしまう。
期待する、期待される先の未来に何があるのか。
たまに、私は自分への厳しさを相手に押し付けていると言われることがある。私は自分に厳しいと全然思っておらず、むしろ甘すぎて力不足で実力の無い今の自分になっているのだと思っているが、他者から見た自分というものは、ある側面では真実なのだと思っている。確かに、私は相手が期待する結果を出してくれず、落ち込むことや憤ることがある。
もちろん自分に対してもそう。
期待していなかったら、相手の少しのアウトプットでもありがたいと感謝できるのに。相手に対して優しくいられるし、余裕を持った自分でいられるのに。ハードルを上げすぎてしまっているのかもしれない。一人一人、生きる意味や幸せの捉え方は違って、それを相手に押し付けることはしてはいけない。相手の幸せを奪う権利などどこにもない。チームの方向性を統一する役割がある人はまた少し質が違うけれど。
最近は、相手がどういう目的やビジョンで物事に向き合っているのかをなるべく聞いて、その人にはなりきれなくても、相手がその人自身へ求めるアウトプットのボリュームや質を理解したうえで話をしないといけないと思っている。何か上から目線に聞こえるかもしれないが、それは目上の人に対してもそうで、高度な質を求める人の場合は、まず私自身がそのレベルを見据えて動かなければいけない。だからこそ、自分がレベルアップしたい時は、多少辛くても、ワンランク上の環境に身を置くのが近道なのだとも思っている。
そのように相手を見極めるのも大事だが、もちろん、何よりも私自身の指標も持たなければいけない。前読んだ本で、私たちは期待に応えようとするからメンタルがやられてしまう、期待は裏切るためにあると書いてあった。確かに、期待されて応えようと頑張りすぎると自分がダメになってしまう。
私の指標を表現する上で、最近好きになった言葉を紹介する。
“Stress is a part of success”
私はこの生き方だなと思う。幸せや成功のためには、多少のストレス負荷がかかることは仕方ないなと思う。それが自分自身がダメになるぐらいの負荷の場合は、諦める必要もあると思っているが、ストレスがない事は、私にとってはある意味ストレスで、生きる意味も無いように感じてしまうかもしれない。期待されない生き方もつまらないのかなとも思う。
ストレスがかかり過ぎた時は、
“A problem shared is half solved”
の考え。
誰かに話したりすることで、頭の中も整理されるし、自分の苦しみを知ってくれている人が1人でもいることが、支えになる。
私は、AKB48の横山由依(ゆいはん)がNMB48に在籍していた時に、元NMB48の山本彩(さや姉)にかけた言葉がすごく好き。
「さや姉の重荷のリュック、半分私が持つわ」
NMB48のグループキャプテン兼絶対的エース、かつAKB48でも1,2を争うエース、すごい重圧と戦っていたさや姉の負担を私に半分分けてくれ、感動するし有名な言葉。
私自身もこれまでたくさんの人にリュックを持ってもらった。私も、周りにいる大切な人のリュックを持てる存在でいたいなと思う。
けやき坂46
「期待していない自分」
期待しないってことは
夢を捨てたってことじゃなくて
それでもまだ何か待ってること
エリー
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