私インドネシア語ができます
外国の人と一括りにしてはいけないが、いわゆる外国の方って、挨拶ができる程度でその言語ができますと言う人がいる気がする。少なくとも「おはようございます」が言える程度では、日本人はその言語ができるとは言わないと思う。
私が初めて行った海外は、大学1年生の頃のインドネシアで、私にとってインドネシアとタイは1番(1つに絞れてない)特別な国なのだが、インドネシアに行った時、少しだけインドネシア語を勉強して、ほんの触りの挨拶ぐらいはできるようになった。
到底それでインドネシア語できますなんて言えるはずもなく、その後深く勉強する努力もしていなかったので、それ以上のレベルには今もなっていない。むしろ忘却曲線を辿って数少ないボキャブラリーもほぼ失った。
インドネシア語は読み書きにローマ字を使えて、文字自体にはハードルが無いので、もう一度触りだけでもちょっとやってみようとふと思った。勉強という表現を使わなかったのは、勉強は続かないので、インドネシアに行った時に使っていた会話帳の一部コピーを読み返すことにした(当時会話帳すら買っていなくて、使えそうなページのコピーだけ持っていたのだ)。
今ある知識で言いたいことを言う。通じる言葉を使う。それが目標。低めのハードルでいこう。
「社会人はアウトプット前提の勉強をする」体現していこう。笑(前回のブログを読んでくれた方は意味が分かるかもしれない)
インプットしたかどうかも分からないことをアウトプットしていこう。笑
日本語でこの会話帳コピーレベルの言語を話せる人がいたら、私だったら日本語ができる人認定(上から目線だが)をすると思う。
例えば、「私は日本語を話せるようになりたくて勉強しています」
と言いたい時、日本語で「私は日本語に話しますたい、勉強する」と言われたところで、日本人はバッチリ言いたいことをキャッチできるし、全然できてないじゃんなんて絶対言わないと思う。
だから、私も割とインドネシア語できます認定をもらいたくて、とりあえず少しのボキャブラリーだけでも覚えたフリをすることにした。完全に覚えてアウトプットできますというのは自己判断の範疇なので(自己判断でも全くできてないレベル)、できるフリでとりあえず十分というハードルの低さ。
会話帳に載っていた表現で簡単に文章を書いてFacebookに投稿すると、いいねや、インドネシア語でコメントをくれる人がいた。むろん、よく分からないところは適当に調べて、文法なんて知らないので、適当にワードを並べていただけ。
それでも、お前下手だよ!なんて言う人はいなくて、間違いだらけだと言う人もいなくて、インドネシア語できるじゃんと言ってくれる人がいた。まさかのインドネシア語で返って来たカウンターコメントに対しては、私は対処する術が無かったが、単語を調べたら意味は分かった。やっぱり言語は、単に言語そのものに習熟しているかではなく、文脈や相手の気持ちを汲み取ること、予測すること、人間としての習熟度、その辺りも大事なのだと思った。
言語に限らずだが、間違いは恐れずアウトプットする。初心者はこれが1番大事で、1番難しいことだと思う。
会話帳コピーを覚えることすらまだ全くできていないが、とりあえず今回はこの言葉でブログを終えます。
私インドネシア語ができます!
エリー
0コメント