自らの意思とは
夏休みに、藤野恵美さんの「涙をなくした君に」を読んだ。
図書館で気になって手に取った。タイトルが気になったのと、内容も気になった。
長期休暇中も仕事に関する勉強をしようとする人も多く、私も空き時間に勉強した方が良いのだが、長期休暇は一旦仕事を離れたくて、でも、人生にとって蓄積のある学びは必要だなと思い、仕事に関係の無い本を読むことにした。
私は大学で心理学を学んでいたが、大学で心理学を学んだ後、心理カウンセラーとして働く主人公 橙子に対し、こういう人たちは対人関係において何を考えどう判断し生きていくのか、心理カウンセラーの仕事との向き合い方はどういったものなのかについても興味を持ったので読むことにした。本を通して、深い思考を持てる人になりたいと思った。
父親が母親に暴力を振るい、父親権力のステレオタイプの家庭で育った娘が、父親と全く反対の、男女平等、夫婦家事育児分担、学歴非主義の夫 律と結婚し、子供と共に過ごす話。
橙子は、自分の人生は、父への復讐、反発であることを自覚すると同時に、根底に父親の考えを引き継いでいる自分がいるのではないかと葛藤しながら生きていく。
男だから育児や家事はしない。男だから泣いてはいけない。ピンクは好んではいけない。妻は旦那を立てなければならない。家事育児を全部引き受けなければならない。橙子の生活は、そんな固定概念から脱却していた。
絶対的権力を持っていた父に対し、子供の頃は従うしかなかった。今は1人で生きていける。反発することもできる。
橙子が悩んで過ごしていた中で、夫の律は、橙子は相手を信じることをすればもっと楽に生きられると言った。
橙子の恩師古川先生は、人生の道に迷った時は、故人の声に耳を澄ますことだと言った。
私たちの人生は、育った環境の影響を受けているし、逆に言えば反発も含まれているんだと思った。例えば、医者の家庭に生まれた子供は、医者になりたくなくて違う道を進むこととか。言いなりにならないという意志の現れなのかもしれない。
特に教師の子供は教師が多い気がするが、なぜだろう。
家族だけではなくて、私たちは周囲の環境からの影響も受けていると思う。そう考えると、私たちは、自分の意思を貫いた!自分で決めた!と思っていたとしても、実はそれは自分の一存ではなくて、様々な影響を受けて、様々な要因が絡んで導き出された絶対解で、閃きとか直感というものは実は無くて、全てが予定調和の中で導き出された解であるのでは無いかと感じたりもして、人生はミステリーだなと感じた。
あとは、カウンセラーの仕事について。守秘義務もあるし、自分のせいでは無いにしても、自分のカウンセリングを受けていた人が途中で自殺したりもすることもあるもので、とても重い仕事だと思った。カウンセラーの仕事とは、答えを導くことではなく、アドバイスすることでもなく、受容し、本人が自分の考えで道を切り開けることだと言っていた。カウンセリングという名称のイメージと違って、プロの聞き役で、こちらからは何も働きかけないという方が意味合い的には近いのかもしれない。
この本はそんなに涙する話ではないはずだが、所々で自分の家庭と重ね合わせて、今も家族があることに感動して、両親が反発や復讐の対象ではなくて(これも私の意思では無く思い込み説はあるが)、感謝の対象であることを考え泣いた。
エリー
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